フランダースの犬

アニメがあったためか、日本では人気の児童文学「フランダースの犬」。原作を書いたのは、イギリス人作家、マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー。ペンネームはウィーダ。名前がフランス風なのは、父方がフランス系のため。彼女の1872年作「A Dog of Flanders」は、英語で書かれていますので、実際、舞台となったベルギーでは、さほど知られていなかった作品だということです。また、現在のイギリスでも、犬好きの国でありながら、知名度は、日本でより、ずっと低い感じです。

私は、おおまかなあらすじは知っているものの、テレビでアニメを見た覚えはありません。それでも、何故か、「忘れないよ、このみーちを、パトラッシュとあるーいたー」というテーマ曲は覚えているのです。

先日、ルーベンスの「キリスト昇架」の絵を本の中で見かけ、ふと、「フランダースの犬」を思い出し、原作でも読んでみるか、とだんなの子供時代の児童文学コレクションから、これを探し出しました。本人は、「親が勝手に買ってくれたけど、読んだこと無い」のだそうで。読んだことが無く、読むつもりも無い大昔の本を、捨てずに取っておきたいという気持ちは、私には少々理解できませんが、まあ、今になって私の役に立ってくれているので、文句はなしです。この本には、この他にもいくつか、ウィーダの短編作品が収まっていましたので、こちらもそのうち読んでみます。

「フランダースの犬」のあらすじは、私が今更書くまでも無いのでしょうが、知らない人もいるかもしれないので、念のため・・・

ベルギーはフランダース(フランドル)地方の、アントワープから南方へ3マイルほど行った小さな村。この村のはずれの小屋に、ヨハン・ダース老人は、孤児となった孫のネロと住む。生活の糧は、村人達のしぼったミルクを集め、アントワープへと運び、売ること。

ある日、老人は、アントワープからの帰り道、飼い主に重労働を強いられた挙句、道端に死んだように横たわっていた犬、パトラッシュを見つけ、あわれをかけ、小屋へ連れ帰り面倒をみる。(ネロは、この時は2歳児。)元気になると、パトラッシュは恩返しといわんばかりに、ミルクを積んだ荷車の前に立ち、「自分が荷車を引く」というジェスチャーを見せる。こうして、老人に代わってアントワープへの荷車はパトラッシュが引き始める。そのうち、歩けなくなった老人は家で、ネロとパトラッシュが仕事から戻るのを待つようになる。ネロと同じ年のパトラッシュは、こうして共に働き、遊び、絆を深めながら、月日を重ねる。

ネロはアントワープで見たルーベンスの絵に触発され、絵画の道へ進みたいとひそかに思い始め、暇な時間にスケッチに励む。アントワープの聖母マリア大聖堂(ノートルダム寺院)には、足しげく通い、聖堂内のルーベンスの「聖母被昇天」(上の絵)の前では長い時間を過ごすが、彼が特に見たいのは、金を払わないと見れないよう、覆いに被されているルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」の絵。将来画家になるチャンスをつかむため、ネロは、アントワープで開かれる、才能ある若者のための絵画コンクールへ出品。

ネロの大切な友人は、風車小屋の家に住む金持ち娘のアロア。彼女の父は、貧しい少年ネロが成長し、美しい青年になるにつれ、アロアが恋に落ちるのを恐れ、アロアをネロから引き離し始める。(アニメでは、アロアもネロも同じ年くらいの少年少女のように描かれていますが、原作では、ネロはアロアより、4歳くらい年上の設定。)ある夜、風車小屋の家で小さな火災が発生した時、アロアの父はネロを犯人扱いする。村人達は、金持ちの有力者を怒らせるのを恐れ、ネロに仕事を依頼するのも、ちょっとした助けを出すのもやめてしまう。クリスマス直前には、ダース老人も死んでしまう。

ネロは、家賃もとどこおり、小屋から追い出され、パトラッシュと共に、雪の道をアントワープへ。絵画コンクールの結果、アントワープの有力者の息子に優勝が決まったとわかると、絶望。さまよう雪の道で、パトラッシュは、アロアの父が落とした、大金の入った皮袋を拾う。ネロは、皮袋を、風車小屋の家に届ける。アロアの父は、落とした大金を探して不在のため、皮袋をアロアの母に渡すと、パトラッシュの面倒をみてやってくれるよう頼み、ひとり、再び、雪の中へ姿を消す。

隙を見て、戸口から飛び出しネロのにおいをかいで後を追うパトラッシュは、暗い、人のいない大聖堂内でネロを見つける。共に死のうと、懐かしい過ぎた夏の日々を思いながら寒さの中うとうとするふたり。突然、月光が聖堂内にさし、覆いの取れていた「キリスト昇架」と「キリスト降架」が浮かび上がる。ついにこの絵を見れた、これで十分だと言うネロ。

翌朝、寄り添って凍死したふたりの遺体が発見される。また、同朝、ネロがコンクールに出した作品に動かされた著名画家が、その絵を書いた少年を引き取って教育したいと探しに来る。村人達は、自分達の行為を恥、後悔し、ネロの手が、硬くパトラッシュの体にまきついて離れないため、ふたりを共に大切に埋葬する。

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せつないストーリーラインもさることながら、大人になってから、こういう古典を読むのは、子供時代では、良く把握できかねる、その時代背景や風習、土地柄の描写を楽しめるのです。

アロア家族の住む風車の家の風車は、約半世紀前のナポレオン戦争時代には、兵士達のための粉を轢いていたと書かれているので、時代は、ウィーダがこれを書いた19世紀後半に設定されているわけです。ナポレオン戦争後は、オランダ支配下に置かれたこの地域は、プロテスタントのオランダと違い、カソリックの地域。そこで、後、1830年には、オランダに対して蜂起し、独立戦争を起こし、1831年、ベルギーとして独立するので、当時は、ベルギーという国は比較的新しい国なのです。

それこそ、ルーベンスが描いたような、美しい子供だったネロは、アルデンヌ人ということで、緑深いアルデンヌ地方出身。パトラッシュの元の主人はブラバント人、と書かれています。まとまった国としての感覚がまだ、あまり確立していないのかもしれません。まあ、ベルギーという国は、今でも、地域で喋る言葉も違うし、いつ南北に分かれてもおかしくないと言われている国ですので、どこの地域出身か、という事の方が、比較的重きを置くのでしょうか。フランダース地域などは、風景、風習、文化的にも、ベルギー南部より、オランダに近いものがある感じです。小説に描かれる、風車、運河、平らな風景、ネロのはく木靴なども、イメージとしてオランダです。宗教が、プロテスタントとカソリックと違うため、独自の道を行くことになったのでしょうが、宗教がさほどの重要さを持たない今となっては、フランダースあたりは、オランダと一緒になっても良いという感覚もあるかもしれません。

ごちゃごちゃと入り組んでいるのは、言語習慣だけでなく、人種もで、アロアは、亜麻色の髪の毛をしながら、過去のスペイン統治時代をのなごりの、愛らしい黒い瞳をしている・・・ということ。

ダース老人は、戦争に行って負傷し、少々体が不自由という設定です。フランダースは、こうして過去幾度も戦地となった場所ですが、この本の出版後50年も経たないうちに、今度は第一次世界大戦ですから、踏んだり蹴ったりです。

フランドルは、また、中世の時代は、織物業で栄えた地域で、ダッフル・コートの名の由来である、ダッフル(デュフェル)も、アントワープから少し南にあり。また、繊細なレースなどでも有名ですが、アロアが初の教会での聖餐式で頭にかぶったのは、祖母の時代から代々受け継がれてきた、高価なメへレン・レース。メへレン(メッヘレン)も、アントワープの南に位置します。

当時、立派な体格をしたフランダース産の犬に荷車を引かせるということは、この本によると、習慣的だったようで、その扱いもかなりひどいものがあり、重労働を強いられた後、蹴られ殴られ、最終的には道端でばたりと倒れて死ぬ・・・というのも多くあったよう書かれています。ウィーダは、愛犬家だったということなので、この習慣を実際に目撃したのか、聞いたのか、とにかく、良からず思っていた感じです。パトラッシュはネロの家に引き取られる前は、金物屋の男に重い荷車を引かされ、蹴られ打たれ、満足に食べ物も与えられず、ひどい目にあってきたわけですが、作者は、

パトラッシュは、ののしりを糧に、投打の洗礼を受けて生きてきた。それが何だというのか?ここは、キリスト教国なのだから。それに、パトラッシュはただの犬であるし。

と、犬の扱いの悪い人間達を皮肉っています。また、「ルーベンスは、犬を実にみごとに描いたので、きっと犬を愛したに違いない、そして、犬を大事にする人間なら、慈悲深かったに違いない」と、パトラッシュは思っていたとも書いています。

そして、人間のご都合主義や情の薄さ無さに比べて、一度愛情を覚えた犬の忠誠と友情が強調されています。犬好き人間は、そう、時に人間からは期待できない、犬のこの無償の愛がたまらないのですよね。パトラッシュは、与えられた餌にも目を向けず、暖かいアロアの家を去り、一人で行ってしまったネロを探し出すと

「ネロは、僕が忠誠も無く、ネロを見捨てるなんて、夢にでも思ったのか?犬の僕が?」

とでも言うように、ネロの顔にやさしく触れる。パトラッシュはネロと同じ年とは言え、老犬ですので、他のフランダースの犬達と比べ、ダース老人に拾われたおかげで、とても幸福に生きてこられたと感じ、ネロとこうして死ぬのにも幸福を感じたものの、まだうら若いネロが可愛そうで、茶色の瞳に涙をためるのです。

さて、話をピーテル・パウル・ルーベンス(英語読みは、ピーター・ポール・ルーベンス)に移します。ルーベンスは、絵画界の貴公子、輝けるスーパースター。ウィーダも、ルーベンスがいなかったら、アントワープはただの変哲も無い町・・・のような書き方をしています。ばさばさ名作を残した他、温厚な性格で、教養に富み、外交でも活躍。スペイン王からの依頼で、外交でイギリスにも訪れ、その際に、チャールズ1世からは、騎士(サー)の称号を与えられています。同時に、ルーベンスは、チャールズ1世から、バンケティング・ハウスの天井画の依頼も受け。髪かきむしる悩める貧しい画家ならず、裕福で満ち足りた生活を送った人。ネロ少年のみならず、レンブラントなども、彼にはあこがれて、あこがれて。アントワープの大聖堂の祭壇画も、レンブラントに、かなりの影響を与えたようです。

ネロは、ルーベンスの2つの祭壇画が、金を払わないと見れないということに対し、「貧しくてお金が払えないというだけで、この絵を見れないなんてひどいよ、パトラッシュ。ルーベンスは、これを描いたときに貧しい者は見ちゃだめだなんて、決して思わなかったはずだ。ルーベンスは、いつでも、どんな日でも、僕なんかにも見せてくれたはずだよ。・・・」ともらしていますが、これはまさにその通り。16世紀前半に始まった宗教改革(リフォメーション)により、広がっていくプロテスタントの信仰。それに対しての抵抗として、カトリック教会が行った内部改革運動が反宗教改革(カウンター・リフォメーション)。ルーベンスは、いわば、この反宗教改革の視覚効果係のような役割も果たした人物。字が読めず、高等教育を受けていない一般人や、労働者が、視覚によって、信仰心を深められるような絵を、カトリック教会は欲しかったわけです。そのためには、教養が無くても、一目で、その意図するところ把握でき、また、キリストの受難が、どこか遠くの自分と関係ない話ではなく、身近に感じられるようなリアリズム溢れ、更に、キリストとカトリック教会に対する信仰心が深まるような、感情に強く訴えかける絵が望ましかった。ルーベンスは、その教会の願いには、もってこいの人物であったわけで、1609年から1620年にかけて、彼が手がけた祭壇画は、69枚にものぼり、そのうちの、なんと22枚はアントワープ内の教会や、チャペル用だったと言います。

この2つの祭壇画は、今でこそ、同じ空間を共有し、対になるよう描かれた感がありますが、「キリスト昇架」の方は、今は無い、船乗りや漁師達が良く足を運んだ波止場近くの教会用に描かれたもので、そう言われてみれば、十字架をあげるために作業する周りの人物は、船の帆を揚げる肉体労働作業に似ています。一方、「キリスト降架」は、大聖堂内の兵士の組合用のチャペルのために描かれたもので、チャペルが暗かったため、暗闇の中で、キリストの体が白く浮き上がるよう、そして、その体を受け止めるヨハネの衣が目を引く真紅で描かれたと言います。1794年に、フランス革命後の、フランス共和国軍が、アントワープへ入ってきた際、フランスはちゃっかり、この2枚を、パリへ持っていってしまい、しばらくフランス内にあったのですが、ワーテルローの戦いでのナポレオン失脚後、アントワープに戻り、鳴り物入りで、2枚とも大聖堂に収められることとなります。本に書かれているように、覆いをかけてお金を取っていたという事がいつごろから始まり、いつまで続いたかはわかりませんが。

ネロとパトラッシュの死体が発見されるのは、クリスマスの朝なので、本来はクリスマスのお話としての意図があったようですが、キリストの十字架刑の絵がテーマという事で、グッド・フライデーの本日、載せることにしました。 その他、イースター関係の絵は、過去の記事「カラヴァッジョの絵で見るイースター」などもご参照ください。

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